2016年10月30日日曜日

『サイレンと犀』カレンダー 11月

しろたえのふとんのなかでとびきりの宇宙遊泳みたいな二度寝 /岡野大嗣

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(下に貼ってある画像を保存しても使えます)

カレンダーの絵は『食器と食パンとペン』の安福望さんに描いていただいています。
歌集『サイレンと犀』も引き続きよろしくお願いします。


【A4タテ】

【A4ヨコ】

【iPhone5/5s 用】

【iPhone6 用】

2016年10月20日木曜日

帯の勲章

あと1ヵ月半もすれば、『サイレンと犀』を出してから2年になる。
歌集に与えられる賞にどんな賞があるのかよく知らないけれど、何の賞も取らせてやることができなかった。短歌の総合誌に歌集評が載ったのも僕の知る限り2度だけ。

ただ、想像していたより多くの人に読んでもらえて、幸せなことに3度も版を重ねることができた。2版、3版と『サイレンと犀』の帯を新装しているのは、僕からのささやかな賞のつもり。あと2つくらいは勲章を足してあげたいと思っている。

ホームページはじまってません

春に「もうすぐホームページできます」といったきり、公開できていなくてすみません。
年内アップを目指して鋭意制作中です・・・。

それまで、できるだけこちらのブログを更新していきます。

2016年10月19日水曜日

類の友

最近知ってお気に入りのミュージシャン。
Nostola(ノストラ)さん。
Twitterの「サイレンと犀」アカウントの短歌をたまにお気に入りやリツイートしてくれるので気になって聴いてみたら凄く良かった。

https://soundcloud.com/kuuki_sirokuro

このページに書いてるプロフィールによると、
http://www.tunecore.co.jp/artist/nostola
熊本在住の18歳、鶴田虎之介によるソロユニット。作詞、作曲、編曲からジャケットデザインまで全て一人でこなしています。
らしいです。本名、めちゃくちゃ強そう。
「感情的な走り方」という曲は、星野源がサカナクションに加入して歌っているような感じ。浮遊感はキセルのよう。エレクトロニカ調の曲は昔好きだったトムソー13世みたいでもある。ナカコーのソロプロジェクトのNyantolaとか。あ、tola繋がりだ。歌詞も良くて、語彙は平易だけど組み合わせが非凡で、書けそうで書けないフレーズがちょくちょく出てくる。

サイレンと犀のフォロワーの方で肩書がミュージシャンやバンドマンの人の音楽は気づいた限りは聴くようにしていて、だいたい自分好みでとても良いのがうれしい。類は友を呼んでいるのなら光栄に思う。

このHiroto Kudoさんもその経緯で知った。この方の電子音も、体温が感じられるタイプで凄く好きです。
https://soundcloud.com/hirotokudo

2016年10月18日火曜日

体言止め解禁月間

写ってる犬はとっくに居なくって抱いてる僕はほんとうに僕?

おじぎ草がおじぎから帰ってくるまでを眠って過ごす日曜の午後

あたたかいものとつめたいものがごちゃまぜのこころとコンビニ袋

ふつう家でレジャーシートは敷かないよけれど敷いたらたのしい夕餉

百円の傘の真下の耳奥で線香花火咲いている夜

才能の有無は意識しない

文学ムック『たべるのがおそい』の二号に、短歌連作「公共へはもう何度も行きましたね」を寄稿しました。
連作としての出来の手応えは今までで一番あります。ぜひまとめて読んでみて欲しいです。


二号には津村記久子さんも載っていて、それがうれしい。何年か前、日経に載っていた津村さんのインタビュー記事を読んでから、津村さんにはずっと親近感を持っていた。


少し引用します。
 人生の転機は突然やって来ました。大学二年の夏、愛読していた音楽雑誌のインタビュー記事を読み、物事に対する考え方が一変したように思います。
 アルバム「金字塔」などで知られるミュージシャンの中村一義さんのインタビューです。才能あふれる新人として高い評価を受けていましたが、「自分に才能があるかどうかは意識しない。本質的に曲をつくりたい」と淡々とした態度で答えていました。「同世代にすごい人が現れた」と思いました。
 2009年5月7日付 日本経済新聞 夕刊「学びのふるさと」 【「才能の有無は意識しない」中村一義さんの記事に勇気づけられる 小説執筆への道 後押し】 より
この中村一義のインタビュー記事は僕も読んだことがあって、印象に残っていた。でも、津村さんとちがって当時の僕は、勇気づけられて創作活動へ一歩を踏み出すとまではいかなかった。 この津村さんの記事をとおして再び中村一義の言葉に出会い、時差で勇気づけられた気がした。
そのことが、短歌を始め、作り続けて、歌集を出すことの後押しをしてくれたと思っている。

そういうこともあって、今回『たべるのがおそい』に寄せた連作は、誰にどう読まれたいということは意識せず、本質的に自分の作りたいのはどんな短歌かということに向きあって作りました。